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寺院地区 840ヘクタール (8.4 km2) が世界遺産に指定されており、主要な複合寺院群として、北:(プラサット・サンボー)寺院群、中央(プラサット・タオ)寺院群、南(プラサット・イェイ・ポアン)寺院群の3つに分かれる。北・中央・南の主要寺院群は、それぞれ周壁に囲まれた方形の配置となる。そのほかにも複数の小規模な複合寺院・祠堂群がある

北:(プラサット・サンボー)寺院群、中央(プラサット・タオ)寺院群、南(プラサット・イェイ・ポアン)寺院群

北:(プラサット・サンボー)寺院群

主要な3寺院群のうち最大の規模であり、3重の周壁が認められる。その外周壁は一辺 389メートル のほぼ正方形となるが、様相や配置の変異から、中・内周壁より後の時代に拡張されたとも考えられる。また、5つの碑文が発見されており、そのうち3つの碑文はイーシャーナヴァルマン1世の7世紀初頭のものと捉えられ、残る2つの碑文は10世紀のものとされる。加えてプラサット・サンボー寺院群より発見された神像の様式もまた7世紀および10世紀のものとされている。

中央(プラサット・タオ)寺院群

タオは「ライオン」の意で、獅子(シンハ)の彫像が寺院の入口を守護する。2重の周壁があり、外周壁は東西 283メートル 、南北 274メートル  となるが、高さ 22メートル  におよぶ主祠堂 以外は、ほとんど失われている。残存する主祠堂 のまぐさ(リンテル)などの扉口の建築装飾は、プレ・アンコール後期のコンポン・プレア様式とされる

南(プラサット・イェイ・ポアン)寺院群

2重の周壁に囲まれ、外周壁は東西 258メートル  、南北 244メートル 。高さ 22.5メートル  の主祠堂 のほか、八角形の祠堂  などが残存し、その外壁には「空飛ぶ宮殿」の浮き彫り装飾がある。プラサット・イェイ・ポアンからは、627年のリンガ奉納を記す碑文のほか、イーシャーナヴァルマン1世の治世年代の碑文が発見されている。

真臘(チェンラ)は、6世紀後半のバヴァヴァルマン1世に始まり、その王都は、一説に、サンボー・プレイ・クックないしその周辺付近であったともされる。マヘーンドラヴァルマン在位600-616年頃の後、その息子イーシャーナヴァルマン1世は、イーシャーナプラを王都として、30におよぶ地域を衛星都市のように領有し、およそ616年から635年にかけて真臘を統治した。イーシャーナヴァルマンは、真臘王として初めて中国の隋(581-618年)に向けて、使節を派遣したことでも知られる。『隋書』によれば、イーシャーナヴァルマン(伊奢那先代)の居城イーシャーナプラの都城内には2万余りの家があり、城内に大殿堂があって、ここで王は政治を執り、大城の総数は30におよび、数千の家があった。各部落には総帥がいて、官名は林邑(りんゆう〈チャンパ〉)と同様であったとされる。

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